4.審査会のこと
審査会とは町の運営を担う機関のことだ。予算や土地運営など、公的業務のほとんどを担っている。しかしそうだからといって町の住人すべてに無条件に従われているわけではなかった。中には審査会の決定に従わない人間もいた。たとえば町の高台に住むクウェイトという商人。彼はその広い屋敷に対して下された土地占有規定違反という決定を笑って無視した。だが彼をそれで処罰するには、審査会はそれほどの力を有しているわけではなかった。業務を代行しているからとはいえ、絶対的な力を有しているわけではなかった。だが審査会はそれでみすみすとは引き下がらなかった。審査会はクウェイトが手を染めていたという非合法的商売について調査することにした。確固たる証拠はなかなか得られなかったが、クウェイトは常に監視されていた。その動向。商売の状況。屋敷の使用人の経歴すらも。
クウェイトとその屋敷に起こった異変について審査会が知ることができたのは、クウェイトが旅行に出た二週間後だった。クウェイトが旅行に出たこと、その行き先を誰も知らないこと、屋敷にクウェイトの友人が逗留していること、屋敷の使用人が次々と暇を出されたこと、屋敷の使用人頭がなぜか北の町の銀行の金庫の中で発見されたこと、その問い合わせに対してクウェイト自身から無関係との返答があったこと……。
審査会はすぐにこれに関する審問会を行い、北の町へ確認の人を出すことと、クウェイトの友人が逗留しているという屋敷に人を出すことを決定した。そうして、二人の男が屋敷への訪問の任についた。
「あの屋敷は嫌いなんですよ」
車の助手席に身を沈めて、若い男がつぶやいた。
「あの屋敷が好きだという人間もいないと思うがね」
車のハンドルを握る壮年の男の言葉に、若い男は肩をすくめた。
「一度あの屋敷に行って犬に噛まれたんですよ……縫うことになったんですよ? 犬に噛まれて」
「犬は犬でも地獄の番犬だな、あそこのは。犬は嫌いじゃないが、あそこのは願い下げだな」
屋敷の門は開いていた。一旦その前に車を止めて、壮年の男は若い男と顔を見合わせた。クウェイトの屋敷はその厳重なまでの警護で知られている。きっちりと閉められた門、庭を徘徊する猛犬……。だが今、目の前でその門は開かれていた。
「クウェイトがいないというのは本当のようですね」
クウェイト自身がいればこんな無防備な姿はさらすまい。だがその友人というのは、一体いかなる人物なのか?
「車で入るぞ」
壮年の男は車をゆっくりと進めた。広い庭を通る道をゆっくりと進んでいく。若い男は恐る恐る窓の外を眺めていた。例の猛犬たちが襲ってくるのが恐ろしかったのだ。だが庭にはその猛犬たちの気配は見えなかった。
「犬はどうしたんでしょうね?」
「小屋に入れられているのかもしれん。友人とやらも扱いきれなかったんだろう」
ゆっくりと進んで屋敷の正面までつくと、車のエンジンを止めた。二人は降りて、屋敷と、今通ってきた庭とを見た。
おや、とそれに気づいたのは壮年の男のほうだった。庭の隅のほうに一本の太いくいが立てられ、そこに鎖で犬が五六匹つながれていた。気づいた若い男はとっさに身をすくめたが、犬たちは二人のほうを見て、だらりと首をたれた。二人は再び顔を見合わせた。
「弱ってるみたいだ」
「やはり扱いきれなかったんですね」
「しつけが必要でね」
背後から突如かかった声に、二人は振り向いた。いつの間にかそこに背の高い、体格のいい赤髪の男が立っていた。
「あまり動物は手荒に扱いたくないんだが、あれを放しておくのはさすがにまずくてね。客人を傷つけられたら困る」
「君がクウェイトの友人かね?」
ぶつぶつと話す男に壮年の男が聞くと、男は首を振った。
「それはファル様だ。お会いになりたかったら屋敷へどうぞ」
「君はその……ファルとかいう男の召使か?」
若い男のほうをぎろりと赤髪の男はにらみつけた。壮年の男は不意に、その目が赤いことに気づいた。
赤い目? だが白兎の赤い目というより、それは燃え上がる炎を思わせるような目だった。
「言葉遣いには気をつけろ。ファル様のお怒りを買ったところで俺は助けに入らないからな」
「それほど恐いのかね」
壮年の男の言葉に、赤髪の男は肩をすくめた。
「ああ、恐いとも。あんたらが今まで会ってきた誰よりも恐いかただ。たとえあんたらが銃器違法取引の現場に潜入して、そこにいたマフィア全員を射殺した人間だとしてもな」
そう言うと赤髪の男はくるりと二人に背を向け、庭のほうへと歩いていった。
若い男はさっと腰からサイレンサー付の銃を取り出した。引き金を引いた。だが銃弾は庭の木々に食い込み、男の姿はすでに消えていた。
若い男は何も言わずに銃をしまった。そしてそこで、二人は三度顔を見合わせた。
「どうします?」
「引き出せるだけの情報は引き出さなければなるまい」
「あの男の主人も我々のことは知っているでしょう、あの様子では」
「だがそれであちらが先手を打つこともできまい。早めにカードを返したところで勝負が決まるわけではないからな」
二人は玄関前の石段を登り、呼び鈴を押した。すぐに出てきた、今度は長い黒髪を束ねた痩せた男が名前も聞かずに二人を屋敷の中へと招いた。
廊下を歩き、階段を上る。階段の踊り場には庭を見渡せる窓がついていた。その窓から、茶色の髪の、だぶだぶとした服を着た子供が外を眺めていた。痩せた男はその子供については何も言わず、特に注意を払う様子もなかった。二人がその子供を見ながら階段を上っていくと子供は二人のほうを見た。窓からの逆光で顔はよく見えなかったが、瞳がらんらんと輝いているように見えて、若い男はぞっとするものを感じた。
「どうもおかしいですよ」
「何がだ」
壮年の男が聞き返したが、彼もまた似たような、多少不安げな表情を浮かべていた。
「使用人がいないのはわかりますが、こいつらは?」
「ファルとかいう男の召使だろう」
「先ほどの子供は?」
「その男の子供だろう」
それ以上は言うな、と小声で釘を刺したところで、階段を上りきり、クウェイトの応接室へと着いた。
「ファッランディーノ様、審査会からライル・フォーテン様とフェルディナンド・メイヤー様がお越しになられました」
「中へお通ししなさい」
扉が開かれ、二人は部屋へと入った。たしかあの男には自分たちの名前を名乗っていないはず、むしろ名乗ろうとしたらそのまま歩き出してしまい、言いそびれたはずだと思いながら。
応接室の窓から庭を眺めていたのは黒髪黒目の、若い男よりは年を取っているが、壮年の男ほどではないといったような年頃の男だった。
「ようこそお客人」
男はくるりと二人のほうへと向いた。そして近づくと懐から名刺を取り出した。二人が受け取った名刺にはこう書いてあった。
『黒魔術学・錬金術学教授 ファッランディーノ・アルジェルダッド』