鳥を夢見る男

 

 男は。

 市場に並ぶ鳥かごを見ている。鳥かごに閉じ込められた鳥たち。時に羽ばたき、時に歌う鳥たちを眺めながら、男は虚しくポケットに手を入れる。店主は男に買うだけの金がないことを知っている。男はただ鳥かごを眺め、その鳥たちが羽ばたき歌うのを見ている。やがて男の隣に友人がやってきて肩を叩く。男は小さくうなずき、少しばかり名残惜しそうに鳥かごを見てから立ち去る友人の後ろをついていった。

 

 男は。

 鳥の絵が何枚も掛けられた部屋の中、机に向かって絵を描いている。机の周りに散らばる反故には無数の直線が引かれ、その線に沿って風景や人々が描かれている。どこか夢幻のような、決して見えたままを描き出しているのではないその絵。男はまた新たな紙を手に取りまたそれに無数の線を描き始める。男の耳には、窓の外の鳥の声は聞こえない。

 

 男は。

 机に伏せて眠っている。無数の反故に囲まれながら、その寝顔は決して安らかとはいえない。夜明けも近い冷えた部屋の中、男は一つの夢を見ている。男にはそれが夢だとわからない。

 

 男は。

 手首に鎖を巻かれ、足には枷をはめられている。男にはここがどこなのかわからない。だがどこまでも荒涼たる荒野が続いている。男の両脇には顔の見えない兵士が付き添い、前方には立派な鎧を身につけた騎士がこちらに振り向くことなく黙々と馬を進めている。右に付き添う兵士の向こう側には、剣と槍とで火花を散らし長い軍旗をはためかせ馬を駆け回らせ入り乱れる軍隊の姿が見える。左に付き添う兵士の向こう側には、荒れ狂う海を前に大きな船の前でその設計図だろう紙を手に途方にくれる老人がいる。少し振り向くとはるか後方に森が見え、男にはその中で狩に興じる人々の姿すら見える。男が目線を前に戻すと、先ほどの騎士の姿は見えなくなっていた。だが両脇の兵士はそれを気にするそぶり一つ見せずに足を進めている。やがて荒野のはるかはるか遠く、一つの岩山が見えてくる。近づくにつれて大きくなるその山腹に洞窟が口を開けているのを男は見る。男はその洞窟の前に大きな血だまりを見つけ、その中に赤い薔薇が咲いているのを見る。だが先ほどから何も物言わぬ両脇の兵士は、男が足にはめられた枷を重そうに引きずりながらその薔薇を見ているのをよそに、その洞窟の中へと男を導く。

 薄暗い洞窟はまるで迷路のようにどこまでも続く。地面を引きずる枷の音、手首に巻きつけられた鎖が立てる音、静かに落ちる水滴の音、すべてが何も物言わぬ三人の間に響く。やがてすこしばかり開けた場所にたどり着く。そこには一匹の巨大な竜が、口に槍を突き刺されて倒れており、その動かぬ背には輝く光を放つ天使が、彼が何度も思い描き夢見てきた天使が、手にした何枚もの紙を眺めながら座っている。

 これはどういうことでしょう。男がやっと口を開くと、天使は紙から顔をあげた。私は死んだのでしょうか。男の言葉に天使は首を振った。おまえははるか昔に物言わぬ屍となった。しかし長い長い時間が流れ、主が竜を打ち倒したとき、裁きの時が来たのだ。

 私は主に裁かれるのでしょうか。主はいずこにいらっしゃるのでしょうか。男が悲しげに呟くと、天使は首を再び振った。私は主の一部にしてすべて、だがおまえを裁くためにここにいる。おまえがこの世に生まれる前からずっとお前を待ち、お前が生まれてからはずっとお前を守り、お前が死んだ後はずっと裁きのときを待ち続けた。そして時が満ち、おまえを裁くためだけにここにやってきた。それから天使はその手に持つ無数の紙を投げ放ち、その地面を埋め尽くした。その紙にはさまざまな絵が描かれていた。男が見たことのない絵もあった。しかし、それがすべて自分が描き連ねてきた絵だということに男は気づく。

 これらを立ち上がらせなさい。おまえが描き連ねてきたものに血を通わせ、動かしなさい。男は今度こそ悲しくなった。男はただの画家に過ぎず、絵に血を通わせ動かすことなどできなかった。できません。男は首を振った。私にはそのようなことはできません。

 ではおまえは、血を通わせ動かすこともできぬものばかりを描いてきたのか。天使が表情を厳しくした。私はただ、すべてを理に適わせ、すべてをあるべき形に描き、あるべき世界を描こうとしてきました。しかし私には、描いてきたものに血を通わせ動かすことはできません。

 ならばおまえは裁かれなければなるまい。天使が竜の背から降りると、両脇の兵士が男の腕を掴んだ。男は悲しく、恐ろしかったが、また天使の言うことが正しいことも知っていた。

 その瞬間、薄暗い洞窟の中に一本の光が差し、地面に散らばった絵の一枚に差した。そこに描かれていた一羽の鳥が、眠りから覚め巣から身を起こすように立ち上がり、洞窟の中を飛び回り、美しい鳴き声を響かせた。男はただ口を開いてそれを眺めている。天使もまたそれを見上げていたが、やがて男に視線を戻す。

 ならばおまえは裁かれなくていいことになった。途端に、男の手首に巻かれていた鎖も、足にはめられていた枷も灰になったかのように消え去り、地面を埋め尽くしていた紙からいっせいに鳥たちが飛び立ち洞窟を埋め尽くした。男の目には無数の鳥たちしか映らず、もはや兵士も、竜も、天使も見えなくなった。

 

 男は。

 まだ眠っている。男の部屋に朝日が差し込んでくる。その光が壁に掛けられた鳥の絵を照らし出すと、鳥は絵から飛び出し机の上に降りた。巣から身を起こし木の根元に降り立つのとまったく同じに。ぴょんぴょんと何度も眠る男の周りを跳ね回ると、開かれたままの窓の枠に飛び移り、美しい鳴き声を響かせた。それから、朝日に照らし出された美しい街の空へと飛び立っていく。

 男はやっと、その寝顔に笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

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