神様の午後

 

1.

 暑い、と鞄を持つ手とは別の腕に上着を掛け、その手でネクタイを緩めながら木陰が落ちる公園に入る。次のところに行くのは二時間後の予定。どこか喫茶店で涼みたいものの、昼時のクーラーの効いた喫茶店など人に溢れ、外から見るのですら苦痛に感じるほどだった。あまりの暑さに子供も出てくるのを嫌がるのか、公園には人影はほとんどなく、木陰の落ちたベンチが寂しそうにたたずんでいるだけだった。

 ベンチに腰を下ろすと、深いため息をつく。暑さは変わりないが、午前中から歩き回っていた足はもう動くことを当分嫌がりそうだった。次のところにいくのは二時間後。移動も考えれば一時間。大きな木陰は一時間くらいなら自分の元から去りそうにない。そう思いながら上を見上げると、視界の隅に背後に聳え立つ集合住宅が見えた。ベランダには洗濯物がなびき、柵には薄手の布団がかかっている。帰ったら洗濯しないと。ここ数日の忙しさにたまった洗濯物を考えると、暑さもあいまってぐったりとした気分になった。

 ネクタイをもう一度緩めながら頭を起こすと、誰もいなかったはずなのに揺れるブランコが映った。公園の白い砂地が太陽の光を反射して目を突きそうだ。誰もいないな。ひどく静か。時折遠くから子供の笑い声が聞こえるのは、クーラーのために閉め切ったアパートの部屋のガラス戸の向こうから聞こえてくるからだろう。

 がさり、と近くで枝と枝が擦れる音。上から降ってきたその音に、ネクタイに手を掛けたまま再び頭を倒し、視線を上にやる。どうせ鳥かなんかだろうが……。

 ぱちり、と瞬きする。

 影に隠れたその瞳の色はよく分からなかったが、ともかく濃く映る瞳がこちらを見ていた。あ、と気の抜けた声をあげる。

 がさがさと枝の上を這うように動き、やがてざっと音を立ててトン、と地面の上に降りた。その高さは大体二三メートル。さて俺は、よっぽどの暑さで頭がいかれたかな。ネクタイに掛けた手はそのままに、頭を起こし、そいつを見る。

 ズボンもシャツも袖がだぶだぶで、どこか寝巻きのような印象を与える服を着た子供がこちらを見ている。ぼさぼさの焦げ茶の髪には葉っぱが二枚ほどくっついている。足には靴も履いていない。

 何というか、昔の海外の絵本に出てくる変わり者の子供そっくりだな。そんなことを思いながらネクタイに掛けていた手を離しベンチの背もたれに垂れかけさせる。これで毛布の一枚でも引きずっていたら完璧なんだが。

 子供の目がこちらをじっと見ている。別に珍しいものでもないだろうに。こちらも子供も、何も言わずにじっと見詰め合っている光景は傍から見れば異様なものだろう。だけど公園には誰もいない。相変わらずブランコが僅かに揺れている。

 かける言葉も見つからず、所在なさげに再びネクタイに手を掛ける。子供も興味をなくしたのか、裸足のままでたたたと違う木の方へ走っていった。その木の下にたどり着くと、じっと上のほうを見上げた。よじ登るつもりかね。そんなことを思いながら見ていると、子供は軽く膝を曲げた。まさか跳んで登るつもりか? 口元を歪ませながら見ていると、ぴょんと子供が跳ねた。

 たしっと子供の小さな両手が木の大きく枝分かれしているところにかかる。そこから木の幹にかけた足を踏ん張って幹に体を乗せると、そのまま腰掛けた。だがどう見てもその場所は地面から数メートルは離れている。

 ネクタイに掛けた手はそのままに、再び奇妙な沈黙が落ちる。子供はこちらを見ているし、こちらも子供を見ている。俺は白昼夢でも見ているのか?

 子供はやがてよじよじと木の枝を這っていき、がさがさと緑の茂る枝に隠れてしまった。がさがさと葉が動き、何枚か音もなくひらひらと白く輝く地面に落ちていったが、やがて枝の動きも止まった。

 そのまま腕時計を見る。時間は十分ほど経っていた。ぐったりと頭をベンチの背にもたれかけさせる。どうやら白昼夢を見るほど、疲れているようだ。

 

 ふと時計を見ると一時間を少し過ぎたところだった。そろそろ行かないと間に合わなくなるだろう。ベンチから立ち上がり脇に置いていた鞄を取る。緩めていたネクタイを締めると、子供の登った木を見る。あれからは全く何も動かない。あれは夢かなんかだったのかね。そう思いながら公園の出口に向かって歩き始める。ふとその木の下で足を止め、上を見上げる。何もいるわけがないんだが。

 やはり何もいない。ただ葉の間から鋭い日の光が落ちてきているだけで。早く休みを取らないとな。そう思いながら首を何回か鳴らす。午後も忙しくなる。

 

 

 

 

 

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